串カツ田中の貫啓二さんが、坂上&指原のつぶれない店に出演されます。
関東中心に店舗拡大をしている串カツ田中、その代表者の貫啓二さんの経歴が気になります。
結婚しているのか?子供はいるのか?年収っていくらなんだろう?
気になったので調べてみました。
あっ、ついこの間生まれて初めて、大阪で串カツを食べました。
串カツ田中ではありませんでしたけど・・。(違うんかい)
二度つけ厳禁の注意書きに「おおっ」って感動しました。(笑)
味も抜群でしつこくなくパクパクいけました。
では早速本題に。
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貫啓二の経歴やプロフィール
全国181店舗を全面禁煙化し話題を呼んだ「串カツ田中」https://t.co/u93oN19Fxz
創業社長が語る成長を支える“こだわり”とは-株式会社串カツ田中 代表取締役社長 貫 啓二#社長名鑑 #社長名鑑動画 #串カツ田中 #貫啓二 #カンブリア宮殿 pic.twitter.com/0kFEpXejji
— 社長名鑑 (@shacho_meikan) 2018年7月26日
氏名:貫啓二(ぬき けいじ)
生年月日:1971年1月27日(47歳)
出身:大阪府三島郡
高校:大阪府立島本高等学校
好きなお酒:ハイボール
貫社長は、町工場の金型職人であった父親と、編み物の先生をされていた母親、
4歳年上のお兄さんがいる家庭に産まれます。
お兄さんは現在警察官をされていとのことです。
父親は腕の良い金型職人、お酒も飲まずに夜8時には帰宅する真面目な方、いつも、勉強しなさいと貫社長は母親に言われていましたが、あまり勉強は得意では無かったようです。
一方、運動神経が良く、中学2年生には身長180センチを超え、小学校から続けていた硬式テニスでは大会に出場するなどスポーツで頭角をあらわしていました。
幼いころは人見知りだったそうですが、小学校の高学年になるとクラスのリーダー格になり、高校時代は勉強しないで、バイクばかりに乗るバイク少年だったそうです。
高校卒業後は就職したトヨタで物流のカイゼンに携わっていた貫社長。
仕事に慣れてくると、「大企業の中で一つの歯車として一生が終わるのだろうか」と疑問を抱くようになります。
ちなみに貫社長は23歳の時に結婚されたそうです。
ちょうどそのころ、週末に知人を集めてバーベキューやスノーボードなどのイベントを主催していました。
いまのようにSNSがない時代、人と人を手軽に繋いで遊ぶイベントは喜ばれます。
たくさん人が来てお金も儲かる、いろいろな準備を何もかも1人でこなし、大変だけど楽しくて、「サービス業で食べていきたい」と考えるようになったそうです。
ある日、高級車に乗ってきた参加者を見て、
「いまのままじゃ一生こんな車に乗ることはできない、一回きりの人生、これでいいのか」
と思い、起業家への道を歩みはじめることになります。
バーやデザイナーズレストラン経営
27歳の時に10年間務めたトヨタ運送を退職、心斎橋でバーを開業します。
開業資金は600万円、借金をして一番怖かった時だったといいます。
失敗したら全財産を失う、もう戻れないと思ったと言います。
後の取材に対しこうお話しされています。
借金は怖い、でも借金がなかったらつらいときに簡単に逃げてしまいます。
自分で事業をやるって大変なことで、うまくいかないこと、やめたくなるようなことがしょっちゅう出てきます。
簡単に始めたことは簡単にやめられますが、私には借金があって、やめられなかった。
でも、それでよかったんです、なぜなら、「やめたときが負け」だから。
そのとき赤字だろうが、ビジネスモデルを間違えて崖っぷちに立たされようが、やめなければいつかは勝てる。
串カツ田中の現副社長である田中洋江さんに、この頃に出会います、バーのアルバイト1号だったそうです、バイト代は無しの代わりに、お酒飲み放題という契約で一緒にバーで働くようになります。
おみせの屋号が串カツ田中なので、てっきり田中さんが奥さんだと思っていましたが、違いました(汗)
元々、広告代理店に勤めていた田中さん、流行にも敏感で、おいしい店も良く知っていました。
最初から、トヨタ辞めて、バーを始めたけど儲からない? 家族がいるのに、大丈夫?とめちゃくちゃ突っ込まれたそうですよ(笑)
今後の事業展開についても何もプランがなく、いきあたりばったりの経営をしていた貫社長にこういいます。
「このままじゃダメだ」「ちゃんとやらないとこの店相当ヤバい。」
この頃、串カツ屋をやりたいと田中さんは言っていたそうです、貫社長をおいしいと評判の大阪のいろんな店に連れて行きます。
その名店の味が試作を繰り返しても、どうしても出せずにいたところ、当たらしいもの好きの貫社長は大阪でデザイナーズレストランをやると決め田中さんに相談します。
2001年に田中さんの人脈を頼り有名なデザイナーに頼んで大阪の一等地におしゃれなレストランを作ります。店にかけた資金はなんと6000万円だったというから驚きです。
多くのメディアに取り上げられるほどの人気店となり、勢いに乗って東京では京懐石のレストランもオープン。
ショットバーも同じような業態の店に変え、大繁盛させることに成功します、貫社長が30代前半の頃でした。
しかし、元々立地が一等地、最初の設備投資に莫大なお金がかかっていた為、人気がでるのは良いのですが、利益が出ません。
高級店であるが故の悩み、職人の確保にも悩まされます。
そしてリーマンショックが起こり、接待で使われていた店には客がこなくなります、売り上げがガクッと減り、キャッシュフローが回らなくなり、典型的な潰れるパターンに陥ります。
店が東京と大阪で離れていることで、全店に目が届かなくなったということもあり貫社長は撤退を決意します。
串カツ田中開業
貫社長が大阪へ撤退しよう田中さんに話し、田中さんが引っ越しの準備をしていると、亡き父親の、串カツレシピが書かれたメモを発見します。
きっとお父さんが見るに見かねて手を差し伸べたのでしょう、この出来事がなければ今の串カツ田中はなかったでしょうね。
レシピを再現してみたらものすごく美味しかったそうです、どうせ倒産するならやりたいことをやってからと串カツ屋を開業することを決意。
東京の世田谷区の外れに1号店をオープン、わずか14坪の前のオーナーが残した居抜き物件でした。
初期投資も少なく、世田谷に似つかわしくない大衆店ということもあり、物珍しい店と言うこともあったのではないかと思いますが、だんだんと家族連れでにぎわうようになります。
月400万円の売り上げを目指しましたが、開店から半年後には倍の800万円に到達する月があるほど繁盛します。
いままでの店とは明らかに違う手ごたえを感じた貫社長、大阪と東京の店舗は売却し、それまでの負債もあっという間に完済します。
ここから串カツ田中は急成長していきます、どこの真似する串カツ屋よりも早く店舗を増やそうとフランチャイズ展開を始めます。
これが成功、多くの加盟希望者が名乗り出ます、多店舗展開と共に多くの人材が育ち、2016年9月にはついに東証マザーズに上場を果たします。
2008年に世田谷に1号店オープンして以来、今年2018年6月の時点で200店舗にまで拡大し、11月末までに21店舗の拡大を目指しているそうです。
最終目標は1000店舗という貫社長、まだまだ勢いは衰えそうにありません。
嫁や子供は?年収は?
貫社長が結婚されていることはお話しました。23歳の時ですね。
お子さんもいらっしゃるようです、串カツ田中ホールディングスの筆頭株主の中で貫さん田中さんに次いで貫花音さんがいらっしゃいます。
花音という若い可愛らしい響きから、おそらくお子さんではないかと思うのですが、(もしかしたら奥様かもしれないですね)
気になる貫社長の収入ですが、串カツ田中の決算報告書によると
2017年11月期の取締役に対する報酬総額は1000万円増額で9040万円。
3割としても2700万円。
貫社長の串カツ田中での役員報酬はおよそ2700万円くらいではないでしょうか?
貫さんは株式会社ノートの代表取締役でもあるので(株式会社ノートは串カツ田中の筆頭株主)発行済み株数や持ち株数を3割としても、そちらの資産や個人的な配当も合わせると
総資産は25億は下らないと思います。
いろいろ+アルファを加味すると、年収は4000万から6000万くらいでしょうか?
まとめ
33歳のころには全部で1億3000万円くらいの借金を抱えていた貫社長
借金があったからこそ逃げずにやり続けてこれた。
諦めずに試行錯誤しながら、もっと店を良くしよう、お客さんを喜ばせようと努力したことは、すべて結果となって返ってきているとお話されている貫社長。
串カツ田中、国内1000店舗を目指して日夜奮闘されている貫社長の今後に注目していきたいと思います。
最後まで読んで頂いてありがとうございました。